Dachau
これはダッハウ、と呼びます。ミュンヘンの中心地から電車で30分くらいかかる場所。あまり聞き馴染みのない地名かもしれません。キラキラ系の女子向けガイドブックには書かれていないと、他の観光客の方が話しているのを耳にしましたが、ダッハウには、ナチスドイツ時代の強制収容所があり、そこに行ってきました。
駅からはバスで10分くらいの、ダッハウ強制収容所。ここは強制収容所の中でも特に古く、収容された人を管理するシステムも含め、アウシュビッツなど、他の強制収容所のモデルになったことで有名です。
収容所の門。働けば自由になれる、と書いてあります。みな、最初はこの文句を信じて働いたのでしょうか…
これはヨーロッパ全土の収容所の地図。こんなにたくさんあったなんてびっくりです。
こちらはダッハウ付近。
こちらはアウシュビッツ付近。大きな収容所の周りにも、たくさんの収容所かあって、時には別の収容所に移動させられることもあったそうです。
これは、収容された人がどこから来たのかを示しています。ドイツが圧倒的に多かったのかと思っていましたが、ポーランドやソビエト、フランス、イタリアなどからもたくさんの人が連れてこられたことがわかりました。恐るべきは収容された人数です。第2次世界大戦の頃には、1年で78635人が収容されており、1933年から1945年の13年間に206206人もが収容されています。一体これだけの人をどうやって…と疑問に思うほど。
収容された人たちは、どこから来たのかなどが分かるように、与えられた作業着のズボンにこのようなパッチを付けるようにされていたそうです。
ここから先は、見るのが辛くなるような写真などもありますので、ご自身の判断で、読むか読まないか、決めてください。
ちなみにダッハウでは12歳以下のお子さんは入れないようになっていました。
収容された人たちが寝泊まりするだけでなく、強制労働させられる軍事施設や工場もあります。
今は建物は数棟残るだけ。
建物の中が資料館になっています。
第1次世界大戦頃からの変遷が書いてありました。
ヒトラーは最後の希望、と書いてあるポスター。
こちらは、収容された人の持ち物。身分証ですね。この方は最後はチフスで亡くなったそうです。収容所では食べ物が十分に与えられず、栄養状態が悪くなり、次第に感染症で亡くなる人が増えたそうです。
こちらも持ち物。持ってきたものは全て奪われてしまいます。
使っていた食器。
たまの娯楽だったチェス。
収容されていた人たちのロッカー。
ここは連れてこられた人が最初に入るシャワー。着いたらまず身ぐるみ剥がされて、髪や髭を剃られたそうです。
散髪や、髭を剃るのに使っていた道具。
お風呂場の様子。
これは収容されている人に対して、暴力を振るっている様子。
実際に使われていた台と棒。棒の先はすごく硬くて、見るだけで震えました。
背中にたくさん傷があります。ダッハウでは、アウシュビッツのように銃殺されることもほとんどなく、ガス室もあるけど使われた形跡はなかったそうですが、このような暴力を受けた末に亡くなったり、感染症で亡くなったりすることが多かったそうです。
これは作業中に倒れた人を、別の収容された人が運んでいる様子。
実際に使われていた台車。
連れてこられた人たちは、どこからきたのかなどが記録されていたので、このように、どんな人物だったのかがわかります。しかし人数が増えるに従い、こうした記録がつけられないままに収容された人もいたので、実際にわかっているよりも、本当はもっと多くの人がいた可能性もあります。
亡くなった方達。みなガリガリに痩せています。服を脱がされて、外に並べられています。
亡くなる人が増えて、無造作に遺体を積み込んでいくようになってしまっています。
死亡者数。第2次世界大戦の最中からどんどん亡くなる人が増えていきました。戦況が悪化し、食べるものも減っていったようです。
妊娠中に連れてこられた人は、臨月に限り産むことが許されたそうです。そうじゃない人は中絶を余儀なくされました。
収容所の中では人体実験も行われました。
化学兵器などの実験だったよう。
こちらは牢屋のような作りの建物。政治犯などが収容されたようです。
狭い部屋には何もありません。
扉にはのぞき窓などが付いていました。
収容された人の寝床。狭いです。
トイレ。パーソナルスペースなし。
ロッカー。
みんな身を寄せ合って、この地獄なような生活を送ってきたんだな、と思いました。時には親しくしていた人がなくなることもあっただろうし、家族と離れ離れになり、心配で仕方がない人もたくさん、いたと思います。
たくさんの祈りが今も捧げられています。このような悲劇は二度と繰り返してはいけません。だから、私たちは歴史から学ばないといけないと思います。
どうか亡くなられた方々が、安らかに眠れますように。
わからない単語もあって、解説の全てを理解することはできませんでした。解説を写真に収めてきたので、日本に帰ったらこれを訳して学びたいと思います。
ぜひみなさんも、一度自分の眼で見てほしいです。教科書で見るのと、実際に見るのでは、感じ方も違いますし、必ず学べることがあると思います。