みぃさんぽ

これから1年ほどかけて、世界の国々をめぐる旅にでます。 知りたいこと、見たい景色、世界の人々、おいしいごはん、いろんなものを綴っていこうと思います(*´∇`*)

Killing Field and more...

キリングフィールド、って聞いたことがありますか?

 

恥ずかしながらわたしは、語学学校に通うことで知りました。正確に言えば、世界史で習ったのかもしれないけど、習ったかどうか、わかりません。

キリングフィールドはカンボジアポルポトをリーダーとしていた時に、ポルポトの独裁で殺された、たくさんの人々、その方達が連行され、虐待され、処刑された場所のことです。

 

ポルポトは、フランスがカンボジアから撤退した後、徐々に政治の世界に名を知らしめるようになります。力を強めていくポルポトは、カンボジア共産党、クメールルージュの中に、武装組織、ポルポト派を産んだのです。

ベトナム戦争の影響や、国内の情勢不安も相まって、クメールルージュは人数が増える一方。最終的にポルポトは首相にまで、上り詰めます。

その後ポルポトは、原始共産主義という、簡単に言うと農業中心、自給自足の生活に戻ろう!という政策を試行し、都市部に住む人を農村へ強制移住させます。学校も病院も潰し、紙幣まで無くしたポルポト。農作物は輸出し、国民は飢えたり、過労で死んでいきました。

描いた理想どうりにならない、スパイがいるに違いない!と猜疑心に駆られたポルポトは、次に知識人を粛清し始めます。文字が読める人、時計が読める人、眼鏡をかけている人、それだけで死刑です。恐ろしいスピードで成人の人口が減ると、結婚や恋愛の自由を奪うために子どもを親元から引き離し、自分の手元で、自分を崇拝させるように仕向けます。子どもたちは、それが正しいと信じて疑わず、死刑の執行まで任されるようになりました。

この後、ポルポト政権は倒され、カンボジアは解放されます。クメールルージュの最後は1996年。その翌年、ポルポトはなくなります。

1996年…ついこの間のできごとだということが信じられません。わたしは9歳。毎日が幸せだった日々のすぐ近くで、こんなことがあったなんて。

カンボジアを歩いていると、40代以上の人をほとんど見かけません。若い人が異様に多いです。みんな幸せそうで、にこにこしてくれます。まだ子どもだった彼らは、恐ろしい時代のことを覚えていないんです。だから、語り継ぐ人もほとんどいない。世界史の先生からこの話を聞いて、ぞっとしました。また繰り返されたらどうしよう。

だからまずは、私は、知らなければいけないと思い、キリングフィールドに行ってきました。今回はシェムリアップのみの滞在なので、シェムリアップのキリングフィールドに行きました。

写真は気持ちが悪くなるかもしれないものも、あるかと思います。

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今はお寺になっています。
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当時の写真たち。
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クメールルージュの人々が写されています。
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これは、生き残った少年の記憶。
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たくさんの人が繋がれています。怪我をしたそうで、自分で薬を作ったそう。
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繋いでいた道具。
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処刑。処刑する人も同じ背丈の子どもたち。
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銃殺の様子。
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子どもも否応なく戦争に巻き込まれてしまいます。
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殺された人たちの骨。今も掘れば掘るだけ、骨は出るそう。
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集められ、供養された骨たち。

 

絵に描かれていた男性は、数少ない生き残りで、お寺の中で、当時のことを語る役目をしていました。ちょうど他の方がお話しされていたので、わたしはお話できなかったけど、こんなに辛い過去を語り続けるなんてすごいなと思います。

 

さらに、戦争博物館、地雷博物館にも行ってきました。

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使われていたヘリや飛行機。
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戦車。
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シティーハンターで笑いながら見ていた形の兵器。笑い事じゃなかったなぁと今更ながらに思う。
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戦争博物館でも地雷のことが学べるようになっていました。
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爆発しないってわかってても怖い。
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今日まで知らなかったけど、地雷って踏んで命を奪うものより、命は奪わないけど手足を奪うものが多かったそう。なぜなら、死んだ兵士はそのまま見捨てられるけど、息があれば、仲間は助けようとして担いで運んだりするから、1人が爆破に巻き込まれると、前線から2〜3人いなくなる。そうやって兵力を削いだりしていたらしい。なんて汚い考え方なんだろう、と思うけど、それが戦争なんだ…とも気付かされる。
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ここからは地雷博物館。
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この地雷博物館は、元々軍人で地雷を埋めていた人が、戦後、地雷を埋めたことを悔いて、無料で地雷を撤去している人が運営しています。地雷の撤去には、日本を含め、たくさんの国が今も支援をしています。

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今までに彼が撤去した地雷たち。こんなに…と驚く。
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これでもまだまだ撤去し終わらないらしい。
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この方が撤去している方。
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地雷の仕組みなども書いてありました。何種類もあってびっくり。地雷だけじゃなくて、毒を塗ったマキビシみたいなものもあるらしい。
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彼は身寄りのない子どもを引き取って、博物館横の施設で育てています。
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緑に囲まれた小さな博物館。入場料を払う窓口のお姉さんも、地雷で片手を負傷したようで、一生懸命チケットを切って渡してくれました。切なくて泣きそうでした。

戦争が終わった今、これ以上地雷の犠牲者が増えませんように。

 

これでカンボジアはおしまい。戦争を経て、今は平和になってはいるけれど、過去の悲劇を繰り返さないよう、これからも平和であり続けられるよう、残された若い人たちがこれから築いていかなきゃいけないものがあるな、と感じました。

 

日本もきっと同じですよね。